What We Believe

教理声明

What We Believe

私たちが信じている教理

キリスト教会には様々な教団・教派が存在します。どのような教理を教会が持っているのかということは、信仰者として何を信じ、どのように生きていくのかを大きく左右する重要な事柄です。この教会が何を信じているのかを是非お読みください。

 

教理声明は大きく「聖書」「三位一体の神」「人間」「救い」「教会」「終末」の六つの分野に区分しています。さらに詳細な教理声明に関心のある方は、教会までお問い合わせください。

──主はこう言われる──  知恵ある者は自分の知恵を誇るな。 力ある者は自分の力を誇るな。 富ある者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。 悟りを得て、わたしを知っていることを。 わたしは主であり、 地に恵みと公正と正義を行う者であるからだ。 まことに、わたしはこれらのことを喜ぶ。 ──主のことば。

エレミヤ 9:23–24

聖書

私たちは聖書が人に対して書き記された神の啓示であることを信じています。神の啓示であるがゆえに、聖霊によって与えられた聖書六十六巻は、全てにおいて霊感を受けた無誤の神のことばであると信じています 。

権威

私たちは聖書だけが信仰とその実践に関する絶対的な基準を制定することを信じています。それは聖書が神が人に与えた絶対的な真理を啓示した書であり、神のことばとしての絶対的な権威を持っているからです。

解釈

私たちは聖書のどの箇所にも複数の適用を見出すことができるが、正しい解釈は一つしかないことを信じています。聖書の意味は、解釈者が聖霊の助けの下に、字義的、文法的−歴史的解釈方法を熱心に適用する事によって知ることができます。また真理の正しい適用は、全ての世代に対して拘束力があることを認識するがゆえに、キリスト者は聖書の真の意図と意味を注意深く確かめる責任を担っています。

三位一体の神

私たちは生ける、唯一まことの神しか存在しないことを信じています。この神は無限であり、全知の霊であり、全ての属性において完全な方です。神は本質において一人であり、永遠に父、子、聖霊というそれぞれが礼拝と服従を受けるにふさわしい三位格で存在されます。

父なる神

私たちは三位一体の第一位格であられる父なる神が、ご自身の目的と恵みに基づいてすべてを命じ、取り決めていることを信じています。この方はすべてのものの創造主であり、唯一完全で全能な全世界の支配者であり、創造、摂理、そして贖いにおいて主権者です。この方はすべての事柄がご自身の栄光の為に起こるように定められ、すべての被造物およびあらゆる出来事を継続的に支え、導き、そして支配しています。

子なる神

私たちは三位一体の第二位格であられる子なる神イエス・キリストが、あらゆる神としての卓越した性質を所持する父なる神と同格、同質、そして永遠に共存される方であることを信じています。キリストは処女から生まれた受肉された神であることを信じています。この受肉は神を示し、人を贖い、神の御国を統治する為です。キリストはこの受肉によって、神としての属性を捨てることのないまま、神であるがゆえに持つあらゆる特権を行使する権利を横に置き、子としての立場を取り、仕える者にふさわしい姿を取られました。

また私たちは主イエス・キリストが、ご自身の血を流し、十字架上で犠牲的死を遂げることを通して私たちの贖いを達成してくださったことを信じています。主イエス・キリストの死の有効性に基づき、主を信じる罪人が罪の報い、それに伴う罰、罪の力、そしていつの日か罪の存在自体から解放されること、そしてその罪人が義と宣告され、永遠のいのちを与えられ、神の家族として加えられることを信じています。そして私たちの義認が、聖書に記されているとおりに、肉体的におこったキリストの死からの復活によって確証され、今このキリストが天に昇られ、父なる神の右の座におられ、そこで私たちの弁護者また大祭司として執り成しの働きをしていることを信じています。

聖霊なる神

私たちは聖霊が神であり、永遠で、他から派生した方ではなく、すべての神としての属性において父と子と同等であり、同じ本質を持つ方であることを信じています。聖霊は神のみこころを遂行する働きを担い、創造、受肉、書かれた啓示、また救いの働きなどにおいて主権的な働きをされました。私たちはキリストのからだを設立し、それを完成させるというこの時代独特の聖霊の働きが、キリストによって約束されていたように、父のもとから聖霊がやって来たペンテコステの日に始まったことを信じています。

聖霊の働きには世の罪と、義と、裁きを明らかにする事が含まれ、また主イエス・キリストに栄光を帰し、信徒たちをキリストの似姿に変えるという働きがあります。私たちは聖霊が新生における超自然的、主権的主体者であり、すべての信徒をキリストのからだに加えるバプテスマの働きをなすことを信じています。

また聖霊は信徒の内に内住し、信徒を清め、指導し、奉仕ができるように力を与え、贖いの日まで守る働きをなしています。また私たちは聖霊が教会に霊的賜物を施し、これらの賜物が聖徒の完成のために与えられていることを信じます。私たちは御霊の賜物の中でも直接的啓示に関する賜物及びその証明のために与えられていた賜物は教会の創成期に与えられたものであり、聖書の完成によって終焉したことを信じています。

人間

私たちは人が神によって神の似姿に造られたことを信じています。神は人を男と女に創造され、人は理性と、知性と、意志と、自決と、神に対する道徳的責任を持った罪のない存在として創造されました。人の創造における神の意図は人が神の栄光を讃え、神との交わりを楽しみ、神のみこころに沿って生きることであり、これによって人に対する神の目的をこの世で遂行することでした。

堕落

私たちは啓示されていた神のみこころと神のことばに対するアダムの不従順の罪によって、人は潔白を失い、霊的及び肉体的死という罰を受ける者、また神の怒りの対象となり、本質的に堕落した、神の恵みによらなければ神に喜ばれることを選ぶことも行うこともできない者になったことを信じています。自らを罪のない状態に回復する力を持たないゆえに、人は絶望的な存在です。

また私たちはすべての人がアダムの内に存在していたがゆえに、アダムの罪によって堕落した性質は、イエス・キリストを除く全時代の全人類に受け継がれたことを信じています。それゆえ、全ての人は本質的にも、個人の選択においても、また神の宣告においても罪人であることを信じています。

救い

私たちは救いが人の功績や行いによって与えられるのではなく、イエス・キリストの流された血が為した贖いに基づく神の恵みによって与えられるものであることを信じています。

選び

私たちは完全に堕落した罪人に対して与えられた神の恵みが、罪人自身の何らかの決断や、人がする選択に対する神の予知に基づいて与えられるのではなく、神の主権的な恵みとあわれみによってのみ与えられることを信じています。

新生

私たちは新生という聖霊による超自然的な働きによって、人は新しい霊的ないのちが与えられることを信じています。これはみことばを通して聖霊の力のみによって瞬時に達成されるものであり、聖霊の助けによって悔い改めた罪人が、神が備えてくださった救いに信仰をもって応答するときにもたらされるものです。また真の新生は、正しい態度と行動によって証明される悔い改めにふさわしい実によって明示されることを信じています。

義認

私たちは義認が、キリストに対する信仰のゆえに自らの罪を悔い改め、キリストを主権者である主として告白した者たちに対して、義を宣告するという神の業であることを信じています。この義は私たちの罪がキリストに、キリストの義が私たちに転嫁されることに基づくもので、人の美徳や行いとは一切関係がありません

聖化

私たちは全ての信徒が聖なる者と宣告され、聖徒となっていることを信じています。この聖化には神の宣言に基づく瞬間的にもたらされる信徒の立場としての聖化と、聖霊の働きによってもたらされる漸進的な聖化があります。漸進的聖化はすべての真のクリスチャンの生涯に見られる継続的な聖化で、みことばと聖霊の助けによって信徒がキリストに似た者に変えられていくことです。

保証

私たちは一度救われ、贖われた者はすべて神の力によって守られているがゆえに、キリストのうちにあって永遠に救いが保証されていることを信じています。

分離

私たちは神への心からの愛を証明するように、また救い主であり主である方の名を汚すことのないようにすべての救われた者が生きるべきであることを信じています。このような生き方は、私たちに与えられた、受けるにふさわしくない神の恵みに対する深い感謝と、偉大なる神が私たち自身を完全に献げるにふさわしい方であるという事実のゆえになされます。また私たちは宗教的な背教と世俗的で罪に満ちた行動からのあらゆる関わりからの分離を神が私たちに命じていることを信じています。

教会

私たちはイエス・キリストを信じるすべての者が聖霊によって、キリストを唯一のかしらとする一つの霊的からだである教会に加えられることを信じています。教会は、ペンテコステの日に設立され、キリストがご自身の民のためにやって来られる空中携挙の時に完成します。

普遍的教会と地域教会

私たちは教会が生まれ変わった信徒たちだけによって構成される、キリストによって作り出された独特の組織であることを信じています。教会はイスラエルとは別の存在であり、この時代まで啓示されることのなかった奥義です。

また私たちはペンテコステ以後にキリストを信じたすべての信徒の集まりとしての普遍的教会(見えない教会)と、普遍的教会の地上における反映である地域教会(見える教会)があることを信じています。新約聖書はこの地域教会の設立と継続を明確に教え、定義づけています。普遍的教会であるキリストのからだに属する者は、地域の教会に加わるべきであることを信じています。

教会の組織

私たちは聖書に記されているとおり、教会における唯一最高の権威者はキリストであること、それゆえに教会で行われるあらゆる事がらはキリストの主権に基づいて定められ、みことばの教えの通りに実践されるべきであることを信じています。教会では聖書が示す条件にかなった長老たちが、主から与えられている牧会と監督の責任を教会のリーダーとして全うすべきであること、また信徒たちが長老に対する尊敬と信頼に基づいて彼らのリーダーシップに従うべきであることを信じています。

教会の目的

私たちは教会が自らを信仰において建て上げ、みことばを教え、交わりを保ち、礼典を守り、あらゆる国の人々に福音を宣べ伝えることによって神に栄光を帰すことが教会の存在目的であると信じています。

奉仕の働き

私たちは全信徒が奉仕の働きに召されていることを信じています。神が召してくださっている働きを全うするために、神はすべての信徒に霊的賜物を与えています。神は特定の人々を「聖徒を整え、奉仕の働きをさせる」ために教会に与え、キリストのからだに属する一人ひとりの信徒に、独特で特別な霊的賜物を与えています。

礼典

私たちは神が地域教会に対してバプテスマと聖餐式という二つの礼典を与えていることを信じています。私たちはクリスチャンになった者が受ける浸礼によるバプテスマは、救い主の十字架、埋葬、そして復活に対する信徒の信仰の尊厳で美しい証であり、信徒自身の罪に対する死と新しいいのちへの復活によってもたらされるキリストと結合を証するものであることを信じています。

聖餐式はキリストの再臨の日まで守り行われるべきキリストの死の記念と宣言であり、聖餐式は必ず厳粛な自己吟味の後に行われなければならないものであることを信じています。

終末

私たちはすべての人が「一度死ぬことと死後に裁きを受けること」を信じています。また世の終わりにキリストが地上に再臨し、ご自分の御国を設立し、千年間にわたって全世界を統治することを信じています。

個人の永遠

私たちは肉体的な死によって魂と肉体が分離され、救われた者の魂はすぐにキリストの臨在のもとに行き、救われていない者の魂は最後の裁きまで苦しみの場に行くことを信じています。この分離は再び魂と肉体が結合する復活の日までの一時的な状態であり、救われている者は永遠のいのちへと復活し、救われていない者は永遠の裁きへと復活します。

艱難時代と千年王国

私たちはこの世の終わりに神の正当な怒りが信仰のない世に向けられ、キリストの地上再臨をもって頂点を迎える七年間の艱難時代が起こることを信じています。また私たちは、キリストが花嫁である教会を伴って地上に再臨され、ダビデの王座に就き、千年間にわたるメシアの王国を設立する事を信じています。この王国は旧約時代に神がイスラエルの民に与えられた約束の字義的な成就です。

救われていない者の裁き

私たちはキリストによる千年間の統治の後にサタンが地上の民を惑わし、聖徒と聖なる都に戦いを挑む為に彼らを集め、その戦いにおいてサタンとその軍勢が天から送られる火に飲み込まれることを信じています。そしてサタンは火と硫黄の池に投げ込まれ、すべての人の裁き主であるキリストは白い御座の裁きにおいて大きい者も小さい者も皆よみがえらせすべての人を裁かれます。

私たちは救われずに死んだ者たちが裁かれる為に起こる復活が肉体的な復活であり、これによって彼らは裁きを受け、火の池において意識を持ったままで受ける終わることのない罰に入れられることを信じています。

永遠

私たちは千年間のキリストによる統治、サタンの一時的解放と裁き、そして未信者の裁きの後に、救われた者が神と共に過ごす永遠に続く栄光の状態に入れられることを信じています。その後に神は、義なる者たちだけが存在する新しい地(新天新地)を創造されます。

私たちはこの新天新地にある新しい都が聖徒の住まいとなり、そこで彼らは永遠に神との交わりと互いの交わりを楽しむことを信じています。私たちの主イエス・キリストは救いの働きを完了され、この王国を父なる神に明け渡し、あらゆる領域において三位一体の神が永遠に君臨するようになります。